スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

絶賛脱線中。何故か太王四神記、

えー自分でも弱冠ゆきつく先の見えないベルばら語りが続いておりますが。
さっさと書き切ってEXCITER!!に(*´д`*)ハァハァしたいものですなっ。

先ほどの「物語のブレ」の続き。
オイラはメインテーマのブレとか、主役格のブレとかは気になるほうなんですが、
「人格のブレ」はあんまり気にならないんだなと思う。

というのは、人間は元々多面的で、状況に即して人格(キャラクタ)も変っていくものだと思っているから。

最初と最後で云ってることが違ってても、その人格に沿ってストーリーを追っている為に、違和感を無視して観ていることの方が多い。シリーズ小説を読んでいても、後から考えるとあれは無理やりだよなあ、とか、ああいう展開じゃないほうがよかったかなあ、と思うことはあったけれど。

結局、自分は「世界観」から入るタイプの人間だからだと思う。
いつだって、私小説のような恋愛モノよりも、ガチガチに設定された世界観のファンタジーを読む方が好きだった。ジーン・アウル、トールキン、栗本薫、小野不由美、田中芳樹、etc.

人間の主義主張なんて状況次第で簡単にゆらいで変るもの。
欲望や、恨みや、怒りや・・・
喜びや、希望や、愛情や。

太王四神記のタムドクなんてまさにそんな感じで、
大した信念があった訳でもなく、ただ「天に選ばれた」だけだ。
王にふさわしくないと思っていたのもタムドク。
国を捨てて女と逃げたかったのもタムドク。
なりゆきで王になっちゃったのもタムドク。

気まぐれな神々は、与え給い、奪い給う。
信念を持ったものだけが与えられる訳ではないという皮肉。


この物語、特に原作のドラマを観ていて面白いなと感じたのは、
王座を得るという強いベクトルをもって行動したホゲが、あっさりと火天会とキハに操られ、追い詰められてゆくのに対し、
主義もなく、ゆらぐ柳のようにその場その場で対処していた受身のタムドクの方が、沢山の仲間を集め、王としての信頼を勝ち得ていったことだ。

柔よく剛を制すとはよくいったもので、
こだわりをもたず「ゆらぎ」があるものは、変化に対処がしやすいが、
そうでないものは、その強いこだわりの故につけこまれることもあるということ。
もちろん、どちらにも善し悪しはあるのだけれど。

宝塚版は、そういったタムドクの微妙な揺らぎが描きこまれていなかった為に、唐突な感じがして、だいぶ損してるなあと思った。時間も時間だし、主役がうっすいイケコだし。

ここまでくると「人格のブレ」からはちょっと外れてる気もするが。

って、あれ?なんでテサギの話になってんの俺。
関連記事

Pagination

Trackback

Trackback URL

http://nikeblog.blog43.fc2.com/tb.php/2375-5bf5f56d

Comment

Post Your Comment

コメント登録フォーム
公開設定

Utility

ブログ内検索

PDタグリスト

 

カテゴリー

アーカイヴクラウだー


リンクについて


「愛さずにいられない馬鹿もいる。」はリンクフリー(報告も不要)です。
こちらからのリンクはBlog Peopleを使用。
リンク先が増えて参りましたので、暫定的にカテゴリ分類することにしましたが、間違ってるよーってところがありましたらご報告していただければ幸いです。


クリック募金
クリックで救える命がある。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。