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黄昏の愛の物語◆エリザベート

(思考錯誤しながらの記録なので、意味不明なところも多々ありますがお許しを。)

トート、死という存在についての解釈は多種多様だと思うし、
自分のなかでもいまだ未知の部分が多く、
ゆえに「エリザベート」というミュージカルは再演する度に異なる面が見える。

この作品の黄泉の帝王の愛というのは、限りなく「自己愛」に近いものだと思っていて。
「私が与えることが出来る」偉大なる愛。
シシィに否定されるたびにその執着は増し、追い続ける利己的な愛。

執着、恐怖、憤怒、嫉妬・・・ヒトの負の部分を体現し、ある意味では最も「ヒトらしい」存在。
そんな風に解釈していたので。

あの閣下は、今までのどの閣下とも違っていた。

胡乱な目で民衆を見下ろすあの人は、一切に興味がないように見えた。
ハプスブルクも革命もエリザベートもルドルフも、黒天使でさえ、何もかもどうでもいいような目をしていた。
究極の自己愛の塊で、全てが自分の独壇場であるべきだと振舞っているはずなのに、
自分に対する執着すらないように見えて。

「愛」が理解できないんだろうか、と思った。
自分が何故シシィを追いかけるのか、その意味すらも。
全てを操る自分に酔いしれることもなく。

自分に対する愛も、シシィに自己を否定されることへの憤怒も、喜怒哀楽をどこかに置き忘れたような、仙人のような表情をして。

愛を捜し求めているのか、それとも理解できないのか。

愛を体現することがすなわち喜怒哀楽を「生きる」ことならば。
死を拒否し、強く生き続けるエリザベートの姿は愛、そのもの。

その光を疎み続けた彼が、物語の最後に・・・シシィを抱きしめた瞬間に。

ふわりと、笑った。
その両目に、光が宿った。

ああ、「愛」を理解したんだ、と思った。
彼は、「ヒト」になったんだ。


そんな風に見えた、ある日の物語。
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