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巨大なチカラと、善悪と、わたしたちの行方。

ジークとうこ!と呟いてみる。
えっと、ヅカネタじゃないっす。つぶやきです。でもちょっとは関係あるかな。最後の方は。
オタクで暇なヒトだけどうぞ(笑)
ヅカにかかわらない日なので・・・久々にオタクネタを読みました。(掃除はどうした)
で、いろいろと考えてたことの、つぶやき。

【その名はガンダム。そしてEVA。】
夏に東京で等身大ガンダムが出来るとかいうニュースが出たかと思えば、今日はシャア名言ブログができたんですって。その名も「シャア名言・アズナブログ」なんつー脱力しそーなタイトルで。
世代が一回りして、ファーストガンダム大盛況ですなあ。
どっちかってとおいらはエヴァ世代だけど、エヴァもリバイバルヒットし続けてるし。

いや元ヲタクとしては(べつにガンオタじゃないけど)等身大MSは観てみたいけどね。
造るならシャアザクも造ればいいのに←そのうちやりそうだが。
ヅカ遠征と被るならいいんだけど、あいにく夏は梅田だの博多だの、西周りばかりだし無理ぽ。
ガンダムのフォルムもそれなりに好きなんだけど、やっぱオイラはエヴァの美しい流線ラインが好きなので、等身大EVA初号機が出来たら観にいきたい。

【巨大ロボットのもつ哀しさ。】
あ、でもエヴァのルーツとしてはやっぱ宮崎駿くんのナウシカの巨神兵と、ラピュタのロボットが一番好きなんです。
ガンダムのメカニカルなフォルムとは違う、よりヒトに近い、チカラを持て余した巨大な「人型ロボット」というものが醸し出す、いいようのない哀しさに惹かれるんだと思うのね。

「巨大であることが持つ哀しみ」を最大限に引き出したPS2のゲームに「ワンダと巨像」というのがあるんだけど、あれを見せてもらった時のゲームというものを超えた世界観の衝撃といったらなかったなあ。もうここ5年以上まともにゲームというものはやってませんが、ここまで表現できるものなんだと感動した作品。

【巨大なチカラがひきおこすもの。】
んと、現実的なところで「巨大過ぎるチカラ」というものの行き着く先は何かというと、核兵器とか、空爆とか、そのあたり一帯を焼け野原にしてしまえる能力になるわけで。
そのあたりになると個人的な感情とか憎しみとか悲しみとか全部超えてしまうのね。
やっちゃえば終わり。消えてしまえば、終わり。
例えばオバマ大統領がそのボタンを押すだけで、終末はやってくる。

兵器というのはそういうものであって、始めから、持っているチカラが巨大すぎるために、努力して強くなる喜びもないし、そのチカラによって制圧したところで兵器自身は何をも得るわけではない。

だから、その兵器がヒトガタである、というのはとても哀しい存在にみえる。
ヒトのかたちをしていながら、破壊することしかできないから。

【社会の巨兵器】
それで思ったのは、最近の犯罪でよくみられる、「すべてリセットしてしまいたかった」っていう感情によって起きてしまう悲劇は、ある意味、「巨大な兵器」的だなと。
暴力じゃない解決の仕方がわからなくて、すべてリセットしてしまえばなんとかなるんじゃないか、なんて考えてしまった、哀しい存在の兵器。

マスメディアもね、そういう「ワケがわからない怪物」のようにしか扱わないし、コメンテーターだってわかったようなわからないような何の解決にもならない解説しかしない。

なんでそうなってしまうんだろう、って思うんだけど、やっぱり根っこにあるのが、
”「善」が正しくて「悪」があってはならないもの”という思想が浸透しすぎてるんじゃなかろうか。

中央政治も、芸能界も、地域社会も、それを報道するメディアも、反応するネットも、
悪いもの、邪魔になるもの、障害を、消してしまえば、いいものだけ残るなんていう幻想を抱いてるんじゃなかろうか。

ちょっとでもマイナス要因があれば、そこだけをクローズアップして執拗に攻撃すれば、よくなるんだろうか?いや、マスメディアはそれで飯を食ってるんだろうし、その時だけ視聴率があがればいいんだろう。

でもテレビにしてもネットニュースにしても、その過激な報道姿勢は、やっぱり受け取る側の人格形成に大きな影響を与えてると思うんだ。
速報性を武器にして、私たちに考える隙間も与えることなく、表面的な悪を見つけてきては、攻撃し続ける。
そういう意味では、メディアも巨大な哀しい兵器にみえるんだ。

【心が戦っているのか。】
なんでこんなに平和な世界なのに私たちの争いは止まらないんだろう。
いまの日本では、兵器によって生命を奪われることはなくなったけれど、代わりにココロが戦争してるんだよねきっと。
ムラコミュニティからの依存脱却で、自由な自我を謳歌できる時代になったけれど、そのぶん誰にも頼ることのできない不安定な「私」が世の中にたくさんできてしまった。
ネットやTVの向こうにいる、見知らぬ他人を否定することが、私が私であるというアイデンティティを確保する手段になってしまったんだと思う。
(そのあたりは、エヴァンゲリオンのメインテーマでもある)

【かんがえる。】
必要悪なんていう偽善じゃなくて、ほんとうはこの世には善も悪も両方存在するんだってこと。私たちの中にも、悪意は存在してるんだってこと、真っ向から否定するんじゃなくて、もうちょっとちゃんと考えなくちゃいけない。

日本人って「玉虫色」とか、「中庸」とか、そういう思想の土壌に生きてきたんだもん。
私は「清濁併せ呑む」っていう言葉が好きなんだけれど、善も悪も分け隔てなく、あるがままに、すべて必要なこととして受け入れること。それが心穏やかに、しなやかに強く生きるすべなんじゃないかなあって思う。

私はこうしてヲタクなレベルで宝塚歌劇を観ていますが。
怒りや憤りや悪意や優越感や劣等感や自己顕示欲や偽善や、わたしは生きてる人間だから当たり前にあるんだけれど。そういう自己のマイナス感情にふっと気がついたときに、自己嫌悪と共に、いやこれも必要なことなのかな、てことを思うと、結構ラクになれるのね。
それは「諦め」とも似ているけど、次につながろうとする気持ちがあるだけで、ちょっと違うような気がする。どうだろう。

簡単に言語で批判や主張をしてしまうからこそ、立ち戻って考えなくちゃ、と思うことがしばしばあるのです。ま、なすがままというか、革命家にはなれないよねきっと。

でも、わたしたちみんな、もっと考えなくちゃならない。哀しい兵器にならないために。

【えっと、だからシャアは安蘭で。ジーク・とうこ!】
げ。ここまでぐだぐだ書くつもりじゃなかったよ。
ファーストガンダムやるなら、シャア・アズナブルはとうこさんがいいなってオチのネタにするつもりだったんだけど(笑)予想外に伸びてしまった。
とうこさんがシャアならアムロ・レイは真飛さんで。
「親父にもぶたれた事ないのに!」とか「僕が一番ガンダムをうまく使えるんだ!」とか云ってくれたら超萌えるー(ヘタレM飛が好き)。

ランバ・ラルは星原先輩で。(見た目重視)
ってファーストあんま覚えてないなあ・・・暇があったら見直そう。

というヅカヲタには何にも関係ない雑談でした。久々でちょっと楽しかったかも。
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Comment

ニケ

お久しぶりです。こんなグダグダな記事へのコメントありがとうございます(笑)
非公開コメントなのでどちらでお返事しようかと迷いましたが、こちらでそのまま書かせていただきますね。

とても興味深く読ませていただきました。正にその通りだと、同じことを感じていらっしゃるなあと思って・・・。あまりにも世の中の事象がはやすぎて、それに感情的に反応するだけになってしまってるのが、果たしていいことなのかと、常々思います。
>世の中を冷静に見つめ咀嚼(そしゃく)する。
本当に、大事なことだと思います。

私も、振り子のように揺れ続けているなあと感じながら・・・でも、こんな時代だからこそ、大河のように受容する寛容さを持ち続けていたいなあと思う今日この頃です。
  • URL
  • 2009/03/15 02:08

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