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植田景子と「女」というものについて。

景子先生は、女の持つある種の醜いしたたかさをさらけ出しておきながら、
美しくデコレーションをして物語るので、結構エグい設定でも、夢がみられるんだよなと思う。

あらゆる男達をとりこにするように美しく飾り立てた「虚構の自分」には興味を示さず、
「ほんとうの自分」を見て、愛してくれる、男。

もちろん不細工なんかじゃない、相手は選び放題の美男。
女の子の永遠の夢だよね。

でも、ふたりは結ばれないの。
「結婚」して、生活を共にするということは、夢の世界ではないから。
「女の子」は、現実世界は、見たくないの。

だから「女」は、愛は美しい思い出にして、経済力と安定を、求める。
(ここで示す「愛」は、狭い範囲のものではある。生活の上にはぐくまれるものでない、女の子が夢見る、「純粋な愛」。)

アンナ・カレーニナ、ローズ、マルグリット・・・彼女達は死によって永遠の愛を得られたと思うか?
そして、「愛する我が街」の、ルルは。

マルグリットは景子先生の作品ではないけれど、根底は同じだし、アンナ・カレーニナもそう。
女という性にとっての愛とは何か。
「愛する我が街」は、そのあたりはあまり濃く描かれてはいないが、
時にナルシスティックであり、残酷であり、したたかな計算の上になりたつものでもある、と考えると、彼女たちの醜さは、女としての自分の醜さでもある。目を背けたくなるほどにね。

景子先生は、別れと死によって美しく昇華させてしまうから、ずるいなと思う。
でも、それこそが宝塚としての正しい姿だ。夢を見る世界だから。

だが、今も昔も、このエゴイスティックな「女」というものの醜悪な美しさに、人々は強く惹かれてやまないのだろう。
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